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【第二〇回】 無彩色(モノクローム)の夢と、その静けさ:江戸川乱歩「火星の運河」と一九二〇‐三〇年代のテクスト(杉浦楓太)

◆発表者  杉浦楓太 ◆発表題目 無彩色(モノクローム)の夢と、その静けさ  ――江戸川乱歩「火星の運河」と一九二〇‐三〇年代のテクスト ◆発表要旨  江戸川乱歩の掌篇「火星の運河」(『新青年』1926・4)については、韓(2006); セス(2019)などで、同時代の無声映画との関連性が論じられている。確かに、「灰色の世界」、「音も匂も、触覚」もない、といった記述からは、同時代の無声映画との類似を見て取れる。しかし、同時代において「灰色の世界」であり、「音も匂も、触覚」もなかったのは、無声映画だけであったのか。  「火星の運河」の結末部には大きな異同があるが、語り手の「私」が目覚め、夢であることを示すことは一致する。ここで同じ乱歩の「押絵と旅する男」(『新青年』1929・6)を参照すると、「夢の中の景色は、映画と同じに、全く色彩を伴はぬものである」と、映画と夢とを同一視する言説を確認できる。こうした見解は、乱歩に固有のものではなかった。  金(2021)は、芥川龍之介の「死後」(『改造』1925・9)における夢の色彩について、同時代の心理学の言説の受容の観点から論じている。本発表では、同時代の他の文芸テクストも射程に入れ、議論の拡充を図りたい。また、同時代の夢に関する言説において、視覚の前景化がしばしば指摘されることにも留意し、無声映画と接続されてきた「音も匂も、触覚」もないという本文の記述を、夢を直接的に描いたものとして読み替えたい。 【参考文献】 ・韓程善(2006)「江戸川乱歩と映画的想像力:「火星の運河」を中心に」(『比較文学』48巻) ・セス・ヤコボウヴィッツ(2019)「江戸川乱歩における閉所嗜好症と視線」(石川巧ら〔編〕『江戸川乱歩新世紀:越境する探偵小説』〔ひつじ書房〕所収) ・金香花(2021)「芥川龍之介「死後」試論:夢中の〈僕〉をめぐって」(『跨境:日本語文学研究』13巻1号) ◆発表日時  2023年7月29日(土)、14:00~  ご参加をご希望の方は7月27日(木)までに Googleフォーム よりお申し込みください。