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5/12【第二五回】「孤伏澤つたゐ『兎島にて』をめぐって」(孤伏澤つたゐ)

◆講演者  孤伏澤つたゐ ◆講演で扱われる書籍 〈あらすじ/本の紹介〉 『兎島にて』 「龍を食ったぜ」。  ある日、兎が棲む島に流れ着いた虎は、そううそぶいて、旅の物語を語り始める。  かつて魔法使いと旅をしたおちいさいひとを祖にもつ友人や、蓮を見れば黒こげにしてしまう地獄犬、火山の火口からあらわれる黄金の大伽藍のごとき男――旅の仲間たちと赤道を目指して船出し、水族館、火山を経めぐって、自身のアンチポデスと名乗る龍と、虎は出会う。  ドラコニアのかけらを集めてコラージュした幻想小説。  2024年が辰年だったので作ろうと思い立った物語です。  澁澤作品では『高丘親王航海記』をメインに、『マドンナの真珠』『華やかな食物誌』『ねむり姫』『鳥と少女』他、『指輪物語』(J.R.R.トールキン著・瀬田貞二訳)『類推の山』(ルネ・ドーマル著・巖谷國士訳)『海と夕焼』(三島由紀夫)などの物語の要素を織り込みつつ、澁澤と交友関係のあった人々をモデルに、短い冒険物語を作りました。 ◯参考文献(一部) 『龍彥親王航海記』礒崎純一・白水社 『紋章と時間: 諏訪哲史文学芸術論集』諏訪哲史・国書刊行会 『旅の仲間 澁澤龍彥・堀内誠一往復書簡』澁澤龍彥・堀内誠一 巖谷國士編・晶文社 『三島由紀夫と澁澤龍彥(三島由紀夫研究)』鼎書房 『澁澤龍彥との日々』澁澤龍子・白水社 『澁澤龍彥 ドラコニアの地平』世田谷文学館・平凡社 他 〈著者略歴〉  1987年9月5日生まれ。中学生の時、地元の書店で河出文庫版『黒魔術の手帖』を買い、現在まで澁澤龍彥の本を読みあさっている。  BL短歌誌『共有結晶vol.1~3』(2012年~2015年)に参加。2014年ころから個人で文学フリマなどを中心に、同人誌を作って頒布している。2018年『迎え火』で第2回Kino-Kuni文学賞大賞、2020年『首輪とロマンス』でpixiv百合文芸2佳作。2023年リトルプレス日々詩編集室から『ゆけ、この広い広い大通りを』を刊行。  幻想文学・ファンタジー小説を主に書きながら、地方(地元)で生きるひとびとの生きづらさや連帯についての物語も書いている。  2024年1月、『兎島にて』を私家版として刊行。澁澤龍彥が好き。 ◆講演日時  2024年5月12日(日)、14:00~(日曜日の開催)  ご参加をご希望の方は、2024年5月1

【第二四回】「澁澤龍彥と金井美恵子:「母子像」の構造および反転のイメージから」(安西晋二)

◆発表者  安西晋二 ◆発表題目  澁澤龍彥と金井美恵子:「母子像」の構造および反転のイメージから ◆発表要旨  澁澤龍彥と金井美恵子とのあいだには、少なくとも1970年代には交流が始まっていたようだ。『澁澤龍彥をめぐるエッセイ集成』にも、澁澤との記憶を語った金井の文章が複数収録されている。それに対し、澁澤から金井への言及はほとんど見当たらない。そのなかで金井美恵子の創作を対象とした、唯一といってもよい文章が、「金井美恵子『兎』書評」(「文藝展望」第5号1974.4/『貝殻と頭蓋骨』所収)であろう。ただし、ここで澁澤は、表題作の「兎」ではなく、「人間関係やイメージの夾雑物が少なく、自己と他者の関係が、複雑な構造を見せながら、それだけですっきりと際立っているような作品」として「母子像」を高く評価した。また、この「母子像」は、近親相姦を描きつつ、娘が母へ、父が息子へとイメージの反転が描かれている。「兎」も、父と娘の近親相姦的な内容であり、かつ類似した反転イメージを読み取れるが、澁澤はそこには言及しなかった(むしろ、「母子像」や「愛あるかぎり」に比べ、「兎」は「完成度から言えば前記の諸作に劣る」とまでされている)。  本発表では、このような澁澤龍彥による金井作品の評価と、澁澤作品を「お話し」と語る金井美恵子の評価を対照させつつ、両者の創作における接点を検討したい。そこから、澁澤龍彥と他作家の比較研究というようなテーマに向けた、問題提起的な発表を進めていく予定である。 ◆発表日時  2024年3月3日(日)、14:00~  ご参加をご希望の方は、2024年3月1日(金)までに、 Googleフォーム よりお申し込みください(3月2日午後12時までに返信がない場合、大変お手数をおかけいたしますが、再度のご連絡をお願いいたします)。

【第二三回】「澁澤龍彥の博物誌:『夢の宇宙誌』を中心に/M・C・エッシャー篇」(跡上史郎)

◆発表者  跡上史郎 ◆発表題目  澁澤龍彥の博物誌:『夢の宇宙誌』を中心に/M・C・エッシャー篇 ◆発表要旨  本発表は、前回の花田清輝篇の続きである。花田清輝が『復興期の精神』表紙画に用いたのはマックス・エルンスト『森』の模写だった。一方、澁澤龍彥はそれまで未知の存在だったM・C・エッシャーの『きずな』を『夢の宇宙誌』表紙に採用した。それはなぜか? エッシャーとの邂逅は澁澤に何をもたらしたのか? 美術出版社の雲野良平が澁澤に提供したエッシャー関連資料とは? ◆発表日時   2023年12月17日(日) 、 14:00 ~   ご参加をご希望の方は、12月15日(金)までに、 Googleフォーム よりお申し込みください。

【第二二回】「澁澤龍彥の博物誌:『夢の宇宙誌』を中心に/花田清輝篇」(跡上史郎)

◆発表者  跡上史郎 ◆発表題目  澁澤龍彥の博物誌:『夢の宇宙誌』を中心に/花田清輝篇 ◆発表要旨  『夢の宇宙誌』(1964)に花田清輝の名前があることについては、すでに藤井貴志『〈ポストヒューマン〉の文学:埴谷雄高、花田清輝、安部公房、そして澁澤龍彥』(国書刊行会、2023・2)が注意を促しているものの、それ以上は追求されていない。ならば自分で追いかけてみよう!初期澁澤は花田清輝の何に衝撃を受けたのか?澁澤はなぜ花田を博物誌で捉えようとしたのか? ◆発表日時  2023年11月4日(土)、14:00~  ご参加をご希望の方は11月2日(木)までに Googleフォーム よりお申し込みください。

【第二一回】『澁澤龍彥コレクション』全三巻とその時代(劉佳寧)

◆発表者  劉佳寧 ◆発表題目 『澁澤龍彥コレクション』全三巻とその時代 ◆発表要旨  『澁澤龍彥コレクション』全三巻(『夢のかたち』『オブジェを求めて』『天使から怪物まで』)は、1984年11月から翌年6月にかけて河出書房新社から刊行された、主に引用の断片によって構成された書物である。ギリシア・ローマの古典から現代諸国の文学作品まで、小説、詩から日記、エッセー、説話、コント、哲学書まで、領域を横断する浩瀚なコレクションだったというイメージが強い。巖谷國士の述べたように、この特異な書物は、「まさに引用と借用をエッセーや小説の大きな武器としてきた澁澤龍彥――しかも古今の好みの作家系列の発見と集成をこころみつづけてきた澁澤龍彥にしてはじめて可能になった、きわめて澁澤龍彥的な、稀有のコレクションを構成しているといってよいもの」(「解題」『澁澤龍彥翻訳全集』別巻1)なのである。 担当編集は当時河出書房新社に務めた詩人の平出隆(1950―)で、本シリーズの企画及び編集現場の詳細は二つのインタビュー「悠々と自分をひらく――物語からコレクションへ」と「胡桃の中と外」に綴られていた。だが、このシリーズを同時代の読者がどのように捉えたのか、従来の選集の形式がどのように『澁澤龍彥コレクション』に影響を与えたのかはまだ明らかにされていない。  本発表では、まず『澁澤龍彥コレクション』を同時代の選集に関する言説の中に位置付けたい。また、澁澤蔵書目録と照らし合わせながら、澁澤における「引用」「蒐集」の思考を踏まえて、『澁澤龍彥コレクション』はどのように編まれたのかについて考察する。 ◆発表日時  2023年9月23日(土)、15:30~  ご参加をご希望の方は9月21日(木)までに Googleフォーム よりお申し込みください。  

【第二〇回】 無彩色(モノクローム)の夢と、その静けさ:江戸川乱歩「火星の運河」と一九二〇‐三〇年代のテクスト(杉浦楓太)

◆発表者  杉浦楓太 ◆発表題目 無彩色(モノクローム)の夢と、その静けさ  ――江戸川乱歩「火星の運河」と一九二〇‐三〇年代のテクスト ◆発表要旨  江戸川乱歩の掌篇「火星の運河」(『新青年』1926・4)については、韓(2006); セス(2019)などで、同時代の無声映画との関連性が論じられている。確かに、「灰色の世界」、「音も匂も、触覚」もない、といった記述からは、同時代の無声映画との類似を見て取れる。しかし、同時代において「灰色の世界」であり、「音も匂も、触覚」もなかったのは、無声映画だけであったのか。  「火星の運河」の結末部には大きな異同があるが、語り手の「私」が目覚め、夢であることを示すことは一致する。ここで同じ乱歩の「押絵と旅する男」(『新青年』1929・6)を参照すると、「夢の中の景色は、映画と同じに、全く色彩を伴はぬものである」と、映画と夢とを同一視する言説を確認できる。こうした見解は、乱歩に固有のものではなかった。  金(2021)は、芥川龍之介の「死後」(『改造』1925・9)における夢の色彩について、同時代の心理学の言説の受容の観点から論じている。本発表では、同時代の他の文芸テクストも射程に入れ、議論の拡充を図りたい。また、同時代の夢に関する言説において、視覚の前景化がしばしば指摘されることにも留意し、無声映画と接続されてきた「音も匂も、触覚」もないという本文の記述を、夢を直接的に描いたものとして読み替えたい。 【参考文献】 ・韓程善(2006)「江戸川乱歩と映画的想像力:「火星の運河」を中心に」(『比較文学』48巻) ・セス・ヤコボウヴィッツ(2019)「江戸川乱歩における閉所嗜好症と視線」(石川巧ら〔編〕『江戸川乱歩新世紀:越境する探偵小説』〔ひつじ書房〕所収) ・金香花(2021)「芥川龍之介「死後」試論:夢中の〈僕〉をめぐって」(『跨境:日本語文学研究』13巻1号) ◆発表日時  2023年7月29日(土)、14:00~  ご参加をご希望の方は7月27日(木)までに Googleフォーム よりお申し込みください。

【第一九回】澁澤龍彥の泉鏡花:「ランプの廻転」に至るまで(跡上史郎)

◆発表者  跡上史郎 ◆発表題目  澁澤龍彥の泉鏡花:「ランプの廻転」に至るまで ◆発表要旨  泉鏡花記念館会報『鏡花 雪うさぎ』vol.18(2023・3)に礒崎純一「澁澤龍彥と鏡花─磁界としてのシブサワ」が掲載されたことからも窺えるように、泉鏡花生誕150年の今年、澁澤龍彥と泉鏡花との特別なつながりは、ますます深まっていくように見える。澁澤が残した幻の手書きメモに基づく国書刊行会「澁澤龍彥泉鏡花セレクション」シリーズ(2019・10〜2020・9)の刊行も記憶に新しい。  三島由紀夫と澁澤龍彥の対談「鏡花の魅力」(『日本の文学4 尾崎紅葉/泉鏡花』中央公論社、1969・1、月報)が、その後の泉鏡花再評価のきっかけとなったというのはほぼ通説であるが、本発表では鏡花研究の領域でも高く評価された澁澤「ランプの廻転」(『思考の紋章学』河出書房新社、1977・5)を中心に扱い、以下のような問題についての考察を試みる。  澁澤龍彥はその活動の全体を通じて、どのように鏡花に言及しているのか? 澁澤が所持していた鏡花関連書籍はどのようなもので、いつ頃、何をどのように読んでいたのか? 澁澤の鏡花論に三島由紀夫はどのように関わっているのか? 澁澤は、鏡花研究領域とどのような交渉があったのか? 澁澤が鏡花を読解するにあたって、援用していた西欧の理論、および書物はどのようなものか? etc. ◆発表日時  2023年7月1日(土)、14:00~  ご参加をご希望の方は Googleフォーム よりお申し込みいただけます。

【第一八回】大泉黒石『黄夫人の手』における怪奇のありか:澁澤の幻想文学論を端緒として(山本歩)

◆発表者  山本歩 ◆発表題目  大泉黒石『黄夫人の手』における怪奇のありか~澁澤の幻想文学論を端緒として~ ◆発表要旨  澁澤は「幻想文学について」(1970.4)において、カイヨワの幻想文学論を参照しながら「幻想文学」という曖昧な概念を、「近代の怪奇小説」や「SF」に接続されるものとして、いささかなりともクリアに提示しようとした。SFへの架橋は、科学=現実の時代を生きる作者/読者もまた「ファンタスティック(幻想)」を求めるのだという、幻想小説の普遍性を証ししようとするものでもあった。同様の主張を、奇しくも大泉黒石は「将来の怪談」(1925.8)で展開している。ウェルズ『水晶の卵』を引き合いに出しながら怪談のSF的可能性を論じた同記事は、黒石『黄夫人の手』(初出1920.1)の末尾改稿(1923.7)とも通底しているだろう。だが、だとしても同作がいびつで、整合性に欠ける作品であることに変わりはない。本発表では『黄夫人の手』のテクストを分析し、虚構内事実の整理を行うと共に、「怪奇」がどのような要素なり手法なりによって成立しているかを論じたい。その上で、外部からやってくるように見える恐怖が、実のところ我々の内部・近辺にそもそも付着しているのだという、黒石の基本的発想を明らかにしたい。 ◆発表日時  2023年5月20日(土)、14:00~  ご参加をご希望の方は Googleフォーム よりお申し込みいただけます。

【第一七回】怪奇現象が生み出される場所:澁澤龍彥「髑髏盃」における鎌倉(安西晋二)

  ◆発表者  安西晋二 ◆発表題目  怪奇現象が生み出される場所―澁澤龍彥「髑髏盃」における鎌倉 ◆発表要旨  澁澤龍彥は、18歳から、終生を鎌倉で過ごした。この地は澁澤に とって切り離せない場所である。2007年には、鎌倉文学館にお いて企画展「澁澤龍彥 カマクラの日々」(4月28日~7月8日)が催され、澁澤龍彥と 鎌倉というテーマが取り上げられた。ただし、この企画展で示され た「カマクラ」は、澁澤龍彥自身が随筆等で語った風光明媚な風景 や、彼の思い出などであろう。だが、澁澤の小説内(「きらら姫」 「護法」「髑髏盃」「ダイダロス」)に描かれた鎌倉は、そういっ た自然や文化、記憶などに彩られたものとはいい難い。だからこそ 、物語化されたその舞台のありようをあらためて考えてみる必要が ある。  一般的に、鎌倉といえば、自然のみならず、寺社と歴史の融合する 街として観光地化されたイメージがあるのではないだろうか。 しかし、一方で鎌倉には怪奇現象が数多く発生する地としての認識 もある。神沼三平太『鎌倉怪談』(竹書房、2022.10) では、「鎌倉は、怪異の起きる地でもある。狭い範囲に怪奇スポッ トが密集している」「風呂トイレ鎧武者付きと揶揄されるほど、 武者の霊が出る土地―。怪談と日常が隣り合った土地」 と述べられている。「武者の霊」である理由は、 鎌倉という土地の歴史に密接である。  澁澤の小説に描かれた鎌倉は、思い出深い「カマクラ」でもなけれ ば、もちろん観光地化された世界でもない。それは明らかに怪異の 内に含まれる様相を呈していよう。そこで今回の発表では、 特に武者と怪異の関連性が高い「髑髏盃」に焦点を当て、「 怪異の起きる地」としての鎌倉という文脈から澁澤龍彥の小説を読 み直してみたい。 ◆発表日時  2023年3月18日(土)、14:00~

【第一六回】遠藤周作と澁澤龍彦:マルキ・ド・サドの「現代性」を巡って(北田雄一)

◆発表者  北田雄一 ◆発表題目  遠藤周作と澁澤龍彦  ──マルキ・ド・サドの「現代性」を巡って── ◆発表要旨  本発表ではまず、遠藤周作がピエール・クロソウスキー『わが隣人サド』を読んで以来、サドへの関心を帰国後も持続させていたことを明らかにしたい。この点に関しては、死後発表された小説の草稿や近年発見されたサド研究のための渡仏中に書かれた日記を用いる。  次に澁澤龍彦はコクトー『大股びらき』の翻訳で文壇デビューし三島由紀夫の序文を得て『マルキ・ド・サド選集1』を出版して以降「サドの専門家」の地位を確立していく過程と並行して、遠藤が「白い人」で芥川賞受賞後も「マルキ・ド・サド評伝」などを執筆しつつ、澁澤の『サド選集』や『サド復活』の書評を発表していることへ目配りしつつ、澁澤は遠藤に対しては比較的冷淡だったことを明らかにする。  その後、澁澤と遠藤が直接顔を合わせた『サド裁判』に関して、両者の裁判に臨む態度の差異を明らかにし、特別弁護人遠藤周作が法廷で何を述べていたかという点を詳しく見ていきたい。  最後に、蛇足になるが、澁澤のサド観の相対化するために橋本到と『言葉と物』を発表する前のフーコーのサド論に言及しておきたい。 ◆発表日時  2023年2月18日(土)、14:00~   お申し込みは こちら (Googleフォーム)から。  返信は手動で行っておりますので、お申し込みは、開催日の2日前の23:59までに完了してください。他の方法もございます。当ホームページ「 参加するには 」をご参照ください。