【第三五回】〈特集〉矢川澄子をめぐって(浜地百恵・跡上史郎)
◆発表者1 浜地百恵 ◆発表題目 〈少女〉を翻訳する――矢川澄子の〈反少女〉論 ◆発表要旨 矢川澄子は、澁澤龍彦との関係のなかで〈少女〉であることを求められた女性としてしばしば語られてきた。とりわけ度重なる堕胎の経験は、矢川を澁澤の思想や欲望に従属した女性として捉える根拠のひとつとなっている。しかし矢川自身のテクストをたどると、その経験は一つの意味に固定されることなく、時期を隔てて異なる語り手によって繰り返し書き直されている。本発表では、『兎とよばれた女』(1983)と『失われた庭』(1994)を中心に、そうした語りのなかで反復される〈少女〉の表象に着目する。 両テクストには、少女時代や異性との関係、妊娠・堕胎を思わせる経験が、少しずつ異なるかたちで現れる。なかでも『失われた庭』では、女性画家となった主人公が、芸術家として生きる現在から自らの過去を振り返っている。ここで注目したいのは、二作品のあいだで過去についての語りが揺れていること、そして見る/見られるという視線の関係が変化していることである。 この問題をさらに考えるために、矢川の翻訳の仕事に目を向け、晩年に訳したアナイス・ニン「あるモデルの話」(2002)を併せて取り上げる。同作では、モデルとして他者に見られる若い女性が、その経験を自らの言葉で語っている。矢川がニンの「少女時代」に関心を寄せ、その評伝のなかにこの作品の翻訳を置いたことを踏まえ、これをそれまでの創作における自己の語り直しと重ねて読む。そこから、翻訳という仕事を、他者の言葉を介して過去の自己を見返し、その意味を別のかたちへ移し替える営みとして捉えたい。 以上を通して、矢川自身が用いた〈反少女〉という言葉を、〈少女〉からの単純な離脱ではなく、それを自らの創作へと引き受け直すための位置として読み直す。矢川の創作人生を通して行きつ戻りつしながら書き換えられる〈少女〉のあり方をたどることで、その都度異なる意味へと移し替えられていく〈少女〉概念の「翻訳」の過程を明らかにしたい。 ◆発表者2 跡上史郎 ◆発表題目 矢川澄子の声を消すのは誰か? ◆発表要旨 2026年5月28日頃、プロ野球監督の家庭内暴力報道をきっかけに、埴谷雄高、武田泰淳、井上ひさしらのパートナーへの妊娠中絶強要や暴力がXで話題になり、いわゆる「炎上」状態となった。その渦中に...