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【第三〇回】澁澤龍彥とデジタル(跡上史郎)

◆発表者  跡上史郎 ◆発表題目  澁澤龍彥とデジタル ◆発表要旨  国立国会図書館は、2025年6月4日に、「国立国会図書館デジタルコレクション」収録の約28万点を国立国会図書館内限定公開資料から送信対象資料に切り替え、図書館向け/個人向けデジタル化資料送信サービスで提供を開始した。 https://www.ndl.go.jp/jp/news/fy2025/250604_01.html  その中には、澁澤龍彥関連図書も含まれており、『澁澤龍彥集成』全7巻をはじめ、1990年代の『澁澤龍彥空想博物館』『澁澤龍彥空想美術館』まで含まれている。 https://ndlsearch.ndl.go.jp/search?cs=bib&display=panel&from=0&size=20&sort=published:desc&q-author=%E6%BE%81%E6%BE%A4%E9%BE%8D%E5%BD%A5&f-ht=ndl&f-ht=internet  引用の作家、澁澤龍彥の著作における引用元を探す際、デジタルコレクションの「全文検索」機能は非常に有用であり、発表者もこれまで大いに活用してきた。今回は、その実態を公開し、技術の共有と向上(発表者の)を目的とする。 1.澁澤龍彥が「鏡花」や「ニーチェ」に関してどのような発言をしているかを検索して探す(国会図書館に限らない)。 2.『書物の宇宙誌 澁澤龍彥蔵書目録』(国書刊行会、2006)の拡張版の作成(途上)。 3.澁澤龍彥の引用元を探す(澁澤の引用の仕方の癖がわかるかもしれない)。 4.『澁澤龍彥蔵書目録』の間違いの修正と国会図書館データベースのさらなる正確性への貢献。 ◆発表日時  2025年6月21日(土)、14:00~

【第二九回】澁澤、ニーチェ、現代思想(跡上史郎)

◆発表者   跡上史郎 ◆発表題目   澁澤、ニーチェ、現代思想 ◆発表要旨   日本におけるニーチェの受容は明治の高山樗牛に始まり、大正の阿部次郎や和辻哲郎らが続いている。文学者においては、芥川龍之介「文芸的な、余りに文芸的な」の標題等、太宰治の多いとは言えない蔵書中の最大のものが「ニイチェ全集」であったこと、また詩歌方面における斎藤茂吉や萩原朔太郎らへの影響が知られていよう。  時代が下って澁澤龍彥もまたニーチェに惹かれた文学者の一人であるが、その受容は現代のデカンショとも言うべきフーコー、ドゥルーズ、デリダらによる現代思想隆盛下のものであり、ニーチェこそは現代思想における最大の震源地の一つであった。澁澤のニーチェ像もまた旧来の個人主義、動物的本能、インモラリスト等に重なりつつも、別の焦点を志向する。『記憶の遠近法』(大和書房、1978・4)の題名はニーチェに因んでおり、「遠近法」はニーチェの著作中に頻出する言葉である。澁澤はその最初の単行本『サド復活』(弘文堂、1959・9)でサドとニーチェを結びつけ、中期の「ニーチェ雑感」は『現代思想  総特集=ニーチェ』(1976・11臨時増刊号)の巻頭を飾ったものであり、晩年の『澁澤龍彥コレクション1  夢のかたち』(河出書房新社、1984・11)を編むにあたっては、「ニーチェなんぞが意外に夢について多く発言している」と、一貫してニーチェへの興味を示している。  しかし、その一方で、澁澤はドゥルーズやデリダのニーチェ論を読むことができたにも拘らず、参照した形跡はない。「偶像」化した現代思想へのこの上なくエレガントな一撃として今も語種となっている「リゾームについて」(『國文學』1984・3)の背景にあるのは何か。ポストモダニズムの勃興と隆盛の時代背景において、澁澤はニーチェに関する本の何を読み、どのように書き、いずこへ到ったのか。 ◆発表日時   2025年4月26日(土)、 14:00 ~  ご参加をご希望の方は、 Googleフォーム よりお申し込みください 。 (※自動返信しております。返信がない場合は、メールアドレスの誤入力の可能性がありますので、お手数をおかけいたしますが、お確かめのうえ再度お送りください)

【第二八回】澁澤龍彥と教育(シンポジウム)

◆講演者  安西晋二(國學院大學文学部)  大野ロベルト(法政大学国際文化学部)  茂木謙之介(東北大学文学部) ◆企画趣旨(司会:跡上史郎[熊本大学教育学部])  公教育からは遠いように見える澁澤龍彥であるが、これまでまったく無縁だったわけではない。井上博夫「渋澤龍彦「神のデザイン」の授業から」(1997)は「「元気のでる授業」を創造したい」と『玩物草紙』(1979)を扱っている。また、出口汪(2014)は、澁澤「玩具のための玩具」(1980)に拠る京都大学入試問題をとりあげ、「常識にとらわれない『自由な発想』とは何かを教えてくれる」とする。日本生涯学習総合研究所・編『これからの時代に求められる資質・能力をふまえたテストづくり:大学入試篇・国語』(2016)は同じく「玩具のための玩具」を用いた島根大学入試問題を「これからの時代」の国語の良問として紹介している。 大学等における澁澤龍彥の研究に加えて、教育の場面においても澁澤龍彥を取り上げる試みは続けられているが、その取り組みまだ端緒についたばかりである。これまでとは異なる発想が要求される澁澤龍彥の「教育」の困難と可能性について考えてみたい。 ◆各題目と要旨 ◇安西晋二「国語教育のなかの澁澤龍彥─教科書教材としての「蟻地獄」再読─」  2005年、明治書院の教科書『精選現代文』に澁澤龍彥「蟻地獄」が掲載された。単元名「様々な文章」のひとつとして、正岡子規「ベースボール」、樋口一葉「みづの上日記」に続き「蟻地獄」が並べられている。教科書はすでに新課程に変わった。明治書院の教科書にも「様々な文章」という単元はない。ただ、「一種の観察記録」でありながらも、そこで展開される「自由な発想による独自な解釈や抽象的な思考」(「単元の解説」)を教材として評価された「蟻地獄」は、現在の教育現場においても読まれる意義がまだあるのではないだろうか。文章の多様さや自己表現の手がかりは、常に教材に求められている。澁澤作品の多くは、教育的とはいいがたい面も確かにあろう。だが、20年前に発表者自身が執筆した「蟻地獄」の指導案を批判的に見直しつつ、澁澤作品には教材としていかなる可能性があるか、検討してみたい。 ◇大野ロベルト「澁澤龍彥のいる文学史」  文学史とは何であろうか? 文学研究はともすると特定の文化や時代に縛られ、そこから逃れようとすれば「...

【第二七回】澁澤龍彥が語る怪異、および「護法」における身体と空間(安西晋二)

  ◆発表者  安西晋二 ◆発表題目   澁澤龍彥が語る怪異、および「護法」における身体と空間 ◆発表要旨  澁澤龍彥は、作家活動を通じて、幽霊や妖怪、怪物などのさまざまな怪異譚を語ってきたともいえる。これらは、いかなる文脈を形成していただろうか。  澁澤の作家活動のなかで、『思考の紋章学』(河出書房新社、1977.5)は高く評価されてきた。その根底には、鮮やかに表現された「オブジェ志向」や、語る「私」の「変貌」に見られる、後年の小説群に至る萌芽が指摘できるだろう。澁澤自身の発言、および巖谷國士や浅羽通明らの批評によってそれは確認できる。時期的な面においても、評論・エッセー主体の活動から小説中心へと移りゆく中間的な地点にある『思考の紋章学』には、幽霊や妖怪などの怪異について扱っているエッセーが多い。そこで『思考の紋章学』をひとつの始点としながら、その前後にわたり、澁澤による怪異をめぐる文脈を整理してみたい。  また、「護法」(「海燕」1985.5)は、怪異と身体・空間(とりわけ鎌倉という場所)が相互に関連し合うテクストとなっている。澁澤による怪異文脈の再検討の帰結として、「護法」の位置付けを試みる予定である。 ◆発表日時   2024年8月24日(土)、14:00~ ※ご参加をご希望の方は、8月22日(木)までに、 Googleフォーム よりお申し込みください。確認次第ご連絡いたしますので、フォーム記入翌日の23時までに返信がなかった場合、大変お手数をおかけいたしますが再度ご連絡ください。

【第二六回】「幻想文学としての「体験」:澁澤龍彥『玩物草紙』とその周辺」(跡上史郎)

◆発表者  跡上史郎 ◆発表題目  幻想文学としての「体験」:『玩物草紙』とその周辺 ◆発表要旨  澁澤龍彥は先行するテクストのコラージュによって自らのテクスト を織りなす書き手と目されている。一方『玩物草紙』(朝日新聞社 、1979・2)は、それまでほとんど自分の「体験」を語ってこ なかった澁澤龍彥が、幼年期を中心に「体験」を語り始めものであ る。振り返ってみるにデビュー作「撲滅の賦」(1955) も自らの恋愛「体験」をベースとしたものであり、「東京感傷生活 ふたたび焼跡の思想を」(1964)のような単行本未収録作で「 体験」を大いに語っているケースもあり、遺作『高丘親王航海記』 にも幼児期の「体験」が組み込まれている。しかし、『玩物草紙』 中の「体験」の一部は、幼い頃の「体験」である以上にそれにまつ わる記憶の錯誤と言うべきものであり、これは「体験」 そのものの意味の再考を促すものとも言える。澁澤龍彥にとって「 体験」とは何か、その意味づけの変遷はどのようなものか、それは 先行テクストのコラージュとどのように関わっているのか、なるべ く多くの事例を参照し考察することを目指す。 ◆発表日時  2024年7月27日(土)、14:00~ ※ご参加をご希望の方は、7月25日(木)までに、 Googleフォーム よりお申し込みください。確認次第ご連絡いたしますので、翌日の22時までに返信がなかった場合、大変お手数をおかけいたしますが再度ご連絡ください。

【第二四回】「澁澤龍彥と金井美恵子:「母子像」の構造および反転のイメージから」(安西晋二)

◆発表者  安西晋二 ◆発表題目  澁澤龍彥と金井美恵子:「母子像」の構造および反転のイメージから ◆発表要旨  澁澤龍彥と金井美恵子とのあいだには、少なくとも1970年代には交流が始まっていたようだ。『澁澤龍彥をめぐるエッセイ集成』にも、澁澤との記憶を語った金井の文章が複数収録されている。それに対し、澁澤から金井への言及はほとんど見当たらない。そのなかで金井美恵子の創作を対象とした、唯一といってもよい文章が、「金井美恵子『兎』書評」(「文藝展望」第5号1974.4/『貝殻と頭蓋骨』所収)であろう。ただし、ここで澁澤は、表題作の「兎」ではなく、「人間関係やイメージの夾雑物が少なく、自己と他者の関係が、複雑な構造を見せながら、それだけですっきりと際立っているような作品」として「母子像」を高く評価した。また、この「母子像」は、近親相姦を描きつつ、娘が母へ、父が息子へとイメージの反転が描かれている。「兎」も、父と娘の近親相姦的な内容であり、かつ類似した反転イメージを読み取れるが、澁澤はそこには言及しなかった(むしろ、「母子像」や「愛あるかぎり」に比べ、「兎」は「完成度から言えば前記の諸作に劣る」とまでされている)。  本発表では、このような澁澤龍彥による金井作品の評価と、澁澤作品を「お話し」と語る金井美恵子の評価を対照させつつ、両者の創作における接点を検討したい。そこから、澁澤龍彥と他作家の比較研究というようなテーマに向けた、問題提起的な発表を進めていく予定である。 ◆発表日時  2024年3月3日(日)、14:00~  ご参加をご希望の方は、2024年3月1日(金)までに、 Googleフォーム よりお申し込みください(3月2日午後12時までに返信がない場合、大変お手数をおかけいたしますが、再度のご連絡をお願いいたします)。

【第二三回】「澁澤龍彥の博物誌:『夢の宇宙誌』を中心に/M・C・エッシャー篇」(跡上史郎)

◆発表者  跡上史郎 ◆発表題目  澁澤龍彥の博物誌:『夢の宇宙誌』を中心に/M・C・エッシャー篇 ◆発表要旨  本発表は、前回の花田清輝篇の続きである。花田清輝が『復興期の精神』表紙画に用いたのはマックス・エルンスト『森』の模写だった。一方、澁澤龍彥はそれまで未知の存在だったM・C・エッシャーの『きずな』を『夢の宇宙誌』表紙に採用した。それはなぜか? エッシャーとの邂逅は澁澤に何をもたらしたのか? 美術出版社の雲野良平が澁澤に提供したエッシャー関連資料とは? ◆発表日時   2023年12月17日(日) 、 14:00 ~   ご参加をご希望の方は、12月15日(金)までに、 Googleフォーム よりお申し込みください。

【第二二回】「澁澤龍彥の博物誌:『夢の宇宙誌』を中心に/花田清輝篇」(跡上史郎)

◆発表者  跡上史郎 ◆発表題目  澁澤龍彥の博物誌:『夢の宇宙誌』を中心に/花田清輝篇 ◆発表要旨  『夢の宇宙誌』(1964)に花田清輝の名前があることについては、すでに藤井貴志『〈ポストヒューマン〉の文学:埴谷雄高、花田清輝、安部公房、そして澁澤龍彥』(国書刊行会、2023・2)が注意を促しているものの、それ以上は追求されていない。ならば自分で追いかけてみよう!初期澁澤は花田清輝の何に衝撃を受けたのか?澁澤はなぜ花田を博物誌で捉えようとしたのか? ◆発表日時  2023年11月4日(土)、14:00~  ご参加をご希望の方は11月2日(木)までに Googleフォーム よりお申し込みください。

【第二一回】『澁澤龍彥コレクション』全三巻とその時代(劉佳寧)

◆発表者  劉佳寧 ◆発表題目 『澁澤龍彥コレクション』全三巻とその時代 ◆発表要旨  『澁澤龍彥コレクション』全三巻(『夢のかたち』『オブジェを求めて』『天使から怪物まで』)は、1984年11月から翌年6月にかけて河出書房新社から刊行された、主に引用の断片によって構成された書物である。ギリシア・ローマの古典から現代諸国の文学作品まで、小説、詩から日記、エッセー、説話、コント、哲学書まで、領域を横断する浩瀚なコレクションだったというイメージが強い。巖谷國士の述べたように、この特異な書物は、「まさに引用と借用をエッセーや小説の大きな武器としてきた澁澤龍彥――しかも古今の好みの作家系列の発見と集成をこころみつづけてきた澁澤龍彥にしてはじめて可能になった、きわめて澁澤龍彥的な、稀有のコレクションを構成しているといってよいもの」(「解題」『澁澤龍彥翻訳全集』別巻1)なのである。 担当編集は当時河出書房新社に務めた詩人の平出隆(1950―)で、本シリーズの企画及び編集現場の詳細は二つのインタビュー「悠々と自分をひらく――物語からコレクションへ」と「胡桃の中と外」に綴られていた。だが、このシリーズを同時代の読者がどのように捉えたのか、従来の選集の形式がどのように『澁澤龍彥コレクション』に影響を与えたのかはまだ明らかにされていない。  本発表では、まず『澁澤龍彥コレクション』を同時代の選集に関する言説の中に位置付けたい。また、澁澤蔵書目録と照らし合わせながら、澁澤における「引用」「蒐集」の思考を踏まえて、『澁澤龍彥コレクション』はどのように編まれたのかについて考察する。 ◆発表日時  2023年9月23日(土)、15:30~  ご参加をご希望の方は9月21日(木)までに Googleフォーム よりお申し込みください。  

【第二〇回】 無彩色(モノクローム)の夢と、その静けさ:江戸川乱歩「火星の運河」と一九二〇‐三〇年代のテクスト(杉浦楓太)

◆発表者  杉浦楓太 ◆発表題目 無彩色(モノクローム)の夢と、その静けさ  ――江戸川乱歩「火星の運河」と一九二〇‐三〇年代のテクスト ◆発表要旨  江戸川乱歩の掌篇「火星の運河」(『新青年』1926・4)については、韓(2006); セス(2019)などで、同時代の無声映画との関連性が論じられている。確かに、「灰色の世界」、「音も匂も、触覚」もない、といった記述からは、同時代の無声映画との類似を見て取れる。しかし、同時代において「灰色の世界」であり、「音も匂も、触覚」もなかったのは、無声映画だけであったのか。  「火星の運河」の結末部には大きな異同があるが、語り手の「私」が目覚め、夢であることを示すことは一致する。ここで同じ乱歩の「押絵と旅する男」(『新青年』1929・6)を参照すると、「夢の中の景色は、映画と同じに、全く色彩を伴はぬものである」と、映画と夢とを同一視する言説を確認できる。こうした見解は、乱歩に固有のものではなかった。  金(2021)は、芥川龍之介の「死後」(『改造』1925・9)における夢の色彩について、同時代の心理学の言説の受容の観点から論じている。本発表では、同時代の他の文芸テクストも射程に入れ、議論の拡充を図りたい。また、同時代の夢に関する言説において、視覚の前景化がしばしば指摘されることにも留意し、無声映画と接続されてきた「音も匂も、触覚」もないという本文の記述を、夢を直接的に描いたものとして読み替えたい。 【参考文献】 ・韓程善(2006)「江戸川乱歩と映画的想像力:「火星の運河」を中心に」(『比較文学』48巻) ・セス・ヤコボウヴィッツ(2019)「江戸川乱歩における閉所嗜好症と視線」(石川巧ら〔編〕『江戸川乱歩新世紀:越境する探偵小説』〔ひつじ書房〕所収) ・金香花(2021)「芥川龍之介「死後」試論:夢中の〈僕〉をめぐって」(『跨境:日本語文学研究』13巻1号) ◆発表日時  2023年7月29日(土)、14:00~  ご参加をご希望の方は7月27日(木)までに Googleフォーム よりお申し込みください。

【第一九回】澁澤龍彥の泉鏡花:「ランプの廻転」に至るまで(跡上史郎)

◆発表者  跡上史郎 ◆発表題目  澁澤龍彥の泉鏡花:「ランプの廻転」に至るまで ◆発表要旨  泉鏡花記念館会報『鏡花 雪うさぎ』vol.18(2023・3)に礒崎純一「澁澤龍彥と鏡花─磁界としてのシブサワ」が掲載されたことからも窺えるように、泉鏡花生誕150年の今年、澁澤龍彥と泉鏡花との特別なつながりは、ますます深まっていくように見える。澁澤が残した幻の手書きメモに基づく国書刊行会「澁澤龍彥泉鏡花セレクション」シリーズ(2019・10〜2020・9)の刊行も記憶に新しい。  三島由紀夫と澁澤龍彥の対談「鏡花の魅力」(『日本の文学4 尾崎紅葉/泉鏡花』中央公論社、1969・1、月報)が、その後の泉鏡花再評価のきっかけとなったというのはほぼ通説であるが、本発表では鏡花研究の領域でも高く評価された澁澤「ランプの廻転」(『思考の紋章学』河出書房新社、1977・5)を中心に扱い、以下のような問題についての考察を試みる。  澁澤龍彥はその活動の全体を通じて、どのように鏡花に言及しているのか? 澁澤が所持していた鏡花関連書籍はどのようなもので、いつ頃、何をどのように読んでいたのか? 澁澤の鏡花論に三島由紀夫はどのように関わっているのか? 澁澤は、鏡花研究領域とどのような交渉があったのか? 澁澤が鏡花を読解するにあたって、援用していた西欧の理論、および書物はどのようなものか? etc. ◆発表日時  2023年7月1日(土)、14:00~  ご参加をご希望の方は Googleフォーム よりお申し込みいただけます。

【第一八回】大泉黒石『黄夫人の手』における怪奇のありか:澁澤の幻想文学論を端緒として(山本歩)

◆発表者  山本歩 ◆発表題目  大泉黒石『黄夫人の手』における怪奇のありか~澁澤の幻想文学論を端緒として~ ◆発表要旨  澁澤は「幻想文学について」(1970.4)において、カイヨワの幻想文学論を参照しながら「幻想文学」という曖昧な概念を、「近代の怪奇小説」や「SF」に接続されるものとして、いささかなりともクリアに提示しようとした。SFへの架橋は、科学=現実の時代を生きる作者/読者もまた「ファンタスティック(幻想)」を求めるのだという、幻想小説の普遍性を証ししようとするものでもあった。同様の主張を、奇しくも大泉黒石は「将来の怪談」(1925.8)で展開している。ウェルズ『水晶の卵』を引き合いに出しながら怪談のSF的可能性を論じた同記事は、黒石『黄夫人の手』(初出1920.1)の末尾改稿(1923.7)とも通底しているだろう。だが、だとしても同作がいびつで、整合性に欠ける作品であることに変わりはない。本発表では『黄夫人の手』のテクストを分析し、虚構内事実の整理を行うと共に、「怪奇」がどのような要素なり手法なりによって成立しているかを論じたい。その上で、外部からやってくるように見える恐怖が、実のところ我々の内部・近辺にそもそも付着しているのだという、黒石の基本的発想を明らかにしたい。 ◆発表日時  2023年5月20日(土)、14:00~  ご参加をご希望の方は Googleフォーム よりお申し込みいただけます。

【第一七回】怪奇現象が生み出される場所:澁澤龍彥「髑髏盃」における鎌倉(安西晋二)

  ◆発表者  安西晋二 ◆発表題目  怪奇現象が生み出される場所―澁澤龍彥「髑髏盃」における鎌倉 ◆発表要旨  澁澤龍彥は、18歳から、終生を鎌倉で過ごした。この地は澁澤に とって切り離せない場所である。2007年には、鎌倉文学館にお いて企画展「澁澤龍彥 カマクラの日々」(4月28日~7月8日)が催され、澁澤龍彥と 鎌倉というテーマが取り上げられた。ただし、この企画展で示され た「カマクラ」は、澁澤龍彥自身が随筆等で語った風光明媚な風景 や、彼の思い出などであろう。だが、澁澤の小説内(「きらら姫」 「護法」「髑髏盃」「ダイダロス」)に描かれた鎌倉は、そういっ た自然や文化、記憶などに彩られたものとはいい難い。だからこそ 、物語化されたその舞台のありようをあらためて考えてみる必要が ある。  一般的に、鎌倉といえば、自然のみならず、寺社と歴史の融合する 街として観光地化されたイメージがあるのではないだろうか。 しかし、一方で鎌倉には怪奇現象が数多く発生する地としての認識 もある。神沼三平太『鎌倉怪談』(竹書房、2022.10) では、「鎌倉は、怪異の起きる地でもある。狭い範囲に怪奇スポッ トが密集している」「風呂トイレ鎧武者付きと揶揄されるほど、 武者の霊が出る土地―。怪談と日常が隣り合った土地」 と述べられている。「武者の霊」である理由は、 鎌倉という土地の歴史に密接である。  澁澤の小説に描かれた鎌倉は、思い出深い「カマクラ」でもなけれ ば、もちろん観光地化された世界でもない。それは明らかに怪異の 内に含まれる様相を呈していよう。そこで今回の発表では、 特に武者と怪異の関連性が高い「髑髏盃」に焦点を当て、「 怪異の起きる地」としての鎌倉という文脈から澁澤龍彥の小説を読 み直してみたい。 ◆発表日時  2023年3月18日(土)、14:00~

【第一六回】遠藤周作と澁澤龍彦:マルキ・ド・サドの「現代性」を巡って(北田雄一)

◆発表者  北田雄一 ◆発表題目  遠藤周作と澁澤龍彦  ──マルキ・ド・サドの「現代性」を巡って── ◆発表要旨  本発表ではまず、遠藤周作がピエール・クロソウスキー『わが隣人サド』を読んで以来、サドへの関心を帰国後も持続させていたことを明らかにしたい。この点に関しては、死後発表された小説の草稿や近年発見されたサド研究のための渡仏中に書かれた日記を用いる。  次に澁澤龍彦はコクトー『大股びらき』の翻訳で文壇デビューし三島由紀夫の序文を得て『マルキ・ド・サド選集1』を出版して以降「サドの専門家」の地位を確立していく過程と並行して、遠藤が「白い人」で芥川賞受賞後も「マルキ・ド・サド評伝」などを執筆しつつ、澁澤の『サド選集』や『サド復活』の書評を発表していることへ目配りしつつ、澁澤は遠藤に対しては比較的冷淡だったことを明らかにする。  その後、澁澤と遠藤が直接顔を合わせた『サド裁判』に関して、両者の裁判に臨む態度の差異を明らかにし、特別弁護人遠藤周作が法廷で何を述べていたかという点を詳しく見ていきたい。  最後に、蛇足になるが、澁澤のサド観の相対化するために橋本到と『言葉と物』を発表する前のフーコーのサド論に言及しておきたい。 ◆発表日時  2023年2月18日(土)、14:00~   お申し込みは こちら (Googleフォーム)から。  返信は手動で行っておりますので、お申し込みは、開催日の2日前の23:59までに完了してください。他の方法もございます。当ホームページ「 参加するには 」をご参照ください。

【第一五回】ロラン・ヴィルヌーヴと澁澤龍彥(倉方健作)

  ◆発表者   倉方健作 ◆発表題目  ロラン・ヴィルヌーヴと澁澤龍彥 ◆発表要旨  ロラン・ヴィルヌーヴ(1902-2003)はフランスの著述家である。澁澤の蔵書には、ヴィルヌーヴの著作が15冊確認されている。初期の澁澤の著作には、ヴィルヌーヴの記述を踏襲し、大部分がその翻訳あるいは抄訳とみなせるものが少なくない。「狂帝ヘリオガバルス あるいはデカダンスの一考察」、「悪魔のエロトロギア 西欧美術史の背景」等の論考、『黒魔術の手帖』のジル・ド・レに関する数章がこれにあたる。また『毒薬の手帖』は全体がヴィルヌーヴの著作の抄訳であることが判明した。  それにも関わらず、論考の導入部に個人的な回想を用いたり、サドやジュネに関する関連事項の挿入、またさまざまな技巧によって、それらは一見するとオリジナルな著作といった外観を保っている。本発表では、ヴィルヌーヴの著作の利用の数例を確認しながら、澁澤の執筆に見られる特徴の一端を確認することを目的としたい。  ◆発表日時  2023年1月28日(土)、14:00~   お申し込みは こちら (Googleフォーム)から。  返信は手動で行っておりますので、お申し込みは、開催日の2日前の23:59までに完了してください。他の方法もございます。当ホームページ「 参加するには 」をご参照ください。

【第一四回】石川淳「喜壽童女」と澁澤龍彥(安西晋二)

◆発表者  安西晋二 ◆発表題目  石川淳「喜壽童女」と澁澤龍彥 ◆発表要旨   石川淳「喜壽童女」を、澁澤龍彥は自らのアンソロジー『幻妖』に収載した。その解説(「幻妖のコスモロジー」)で澁澤は、「喜壽童女」について「そもそも小説とはこのように、想像力と学識に支えられて、自由に発動すべきものだということを示す。いわば見本のような小説である」と述べている。  小説の「見本」とまでいわれる「喜壽童女」が、『唐草物語』など澁澤の創作と類似した構造をもつことはこの作品を読めば実感できるだろう(そこから、「喜壽童女」のような作品が澁澤の創作の参考になったとも考えられる)。そこで、まずは「想像力と学識」を重視する澁澤の観点をとおして「喜壽童女」を読んでみたい。そのうえで、澁澤が言及していない「喜壽童女」における「偽書」の扱いに目を向け、「六道の辻」(『唐草物語』所収)および「魚鱗記」にも触れていく。  偽りの情報を「書籍」「文書」と名指すことでリアリティーを確保できる時代は確かにあっただろう(現代は難しいのかもしれない)。ただし、それは、「想像力と学識に支えられて」いなければ、説得力を失うものでもある。それを、澁澤龍彥がどのように作り出しているのかを検討してみたい。 ◆発表日時  2022年9月24日(土)、14:00~  参加をご希望の方は、9月22日(木)の23時59分までにご連絡ください。  参加方法は、本ホームページ「 参加するには 」からご確認ください。

再帰する幽霊/沈黙する神(共催=村上春樹とアダプテーション研究会)

◆テーマ  再帰する幽霊/沈黙する神 ◆企画趣旨  インタビュー「羊をめぐる冒険◯ぼくらのモダン・ファンタジー」(『幻想文学』3号、1983・4)で村上春樹は、『澁澤龍彥集成』を読んだことに言及し、「幻想文学というのは心の中に滲み込んできた」と言っている。しかし、同インタビューはその後どの書物にも再録されていない。従来のリアリズムを超えて、人や事象が反復し、鏡像や反射像として現れる澁澤龍彥・村上春樹の物語は、繰り返し到来する幽霊に満ち、不完全な神の支配を受けている。我々が幽霊に取り憑かれているのか、幽霊とは我々のことなのか。神々がもたらすものは救済なのか、没落なのか。実体なき幽霊たちのあえかな痕跡を探り、沈黙し姿を隠してしまった神々を捉えるための、新たな枠組みを探ってみたい。(跡上史郎) 発表1: 「僕」の人生の〈幽霊〉たち──村上春樹をめぐって── 内田康(京都府立大学) 【キーワード】憑在論、神話、『海辺のカフカ』 発表2: 沈黙の神が支配する ──村上春樹から眺める澁澤龍彥── 跡上史郎(熊本大学) 【キーワード】『1Q84』、『神々の沈黙』、 合理性 司会:山根由美恵(山口大学) ◆日時  2022年8月27日(土)14:00~

【第一三回】『唐草物語』における三つの位相(阿部菜々香)

◆発表者  阿部菜々香 ◆発表題目  『唐草物語』における三つの位相 ◆発表要旨  『唐草物語』は、評論・エッセイを主軸に執筆活動を行っていた澁澤龍彦にとって、およそ一七年ぶりに刊行された小説作品集であり、澁澤の執筆活動において転換点にあたるものとして一般に認識されている。  先行研究においてはその叙述方法が主な論点に挙げられ、そこでは小説的要素と評論的要素(またはエッセイ的要素)の二つから形成されているという見方で一致している。しかしながら、物語における叙述は「小説」「評論」「エッセイ」の三要素で構成されているものとして捉えることができ、それによって地の文に登場する「私」なる存在の性質も定式化され得る。  修士論文では、これまでの研究で混同されてきた「評論」と「エッセイ」を分けることで、『唐草物語』の叙述の機構を捉え直し、そのうえで『唐草物語』が作家・澁澤龍彦のイメージ形成を変化させる役割を担っていたとして論を展開する。 ◆発表日時  2022年7月23日(土)、14:00~

【第一一回】澁澤龍彥の蔵書目録と研究の可能性(跡上史郎)

◆発表者  跡上史郎 ◆発表題目  澁澤龍彥の蔵書目録と研究の可能性 ◆発表要旨  澁澤龍彥を研究するための環境を飛躍的に向上させたのは、国書刊行会編集部『書物の宇宙誌 澁澤龍彥蔵書目録』(国書刊行会、2006)の刊行である。夏目漱石文庫(東北大学附属図書館蔵)や芥川龍之介文庫(日本近代文学館蔵)等と異なり、澁澤没後よりずっとその蔵書は個人蔵であり、一商業出版社である国書刊行会がその目録を作成・販売し、2006年の刊行から2022年の現在も新刊で購入可能であるという事態は特筆すべきものと言えよう。澁澤が引用の作家であるということは、澁澤の読者の共通理解であるが、澁澤没後も新刊書帯の惹句には、「マッコルランを出す勇気と機略のある編集者がいたら、私はそのひとに敬意を表するだろう。──澁澤龍彥」(ピエール・マッコルラン『黄色い笑い/悪意』中村佳子/永田千奈訳、国書刊行会、2021)等、数々の記載例があり、澁澤の著作の種本に使われたことが当該書の評価を高め、宣伝材料となる事態は現在も続いている。そして、2020年代には、2027年に澁澤没後40年、さらに2028年には生誕100年を迎えようとしている中、これまでの商業出版を主とする蓄積に対して、学術研究サイドからの真摯な応答が期待されていると言えよう。 ◆発表日時   2022年4月23日(土)、14:00~

【第一〇回】澁澤龍彥の変身譜:『変身のロマン』の編纂者から変身物語の書き手へ

◆発表者  劉佳寧 ◆発表題目  澁澤龍彥の変身譜  ――『変身のロマン』の編纂者から変身物語の書き手へ―― ◆発表要旨  澁澤龍彥編纂の幻想文学アンソロジー『変身のロマン』(立風書房、1972年)はその前年に刊行された『暗黒のメルヘン』(立風書房、1971年)の続篇であり、変身(メタモルフォーシス)の主題をめぐる古今東西の作品を収録した一巻である。自作小説「マドンナの真珠」を『暗黒のメルヘン』に採録したように、『変身のロマン』ではエッセイ「メタモルフォーシス考」(『ユリイカ』1969年9月号所収)の再録が巻頭を飾っている。  「メタモルフォーシス考」では、変身した主体が移行する世界(動物・植物・鉱物の三界)に注目するという変身物語の読み方を提示しているが、『変身のロマン』には厳密には変身の物語ではない花妖の物語(蒲松齢『牡丹と耐冬』)や、恋する悪魔の変幻自在の超能力を描く作品(カゾット『悪魔の戀』)も収載された。  さらに、「編集後記」において、澁澤は次のような興味深いことを述べている――「結論にならない蛇足をつけ加えるならば、メタモルフォーシスということ自体、一つの比喩にほかならないのである。私の性来の変身譚好みも、もしかしたら、そんなところに原因を求めることができるのかもしれない」。澁澤はどのように小説の中の「変身」を理解し、それを一冊の選集にまとめたのか。また、『変身のロマン』を編纂した澁澤自身が変身物語の書き手である事実も看過できない。  本発表では『変身のロマン』の編集ポリシーを明らかにした上で、変身というテーマを扱う澁澤の小説群を系譜化したい。 ◆発表日時  2022年3月26日(土)、14:00~