【第三二回】高橋たか子『誘惑者』における〈少女〉像の変容:日本回帰から悪魔学へ(浜地百恵)
◆発表者 浜地百恵 ◆発表題目 高橋たか子『誘惑者』における〈少女〉像の変容:日本回帰から悪魔学へ ◆発表要旨 本論は、高橋たか子『誘惑者』(1976年)における〈少女〉像の変容を、1930年代から1970年代に至る思想的・文化的文脈の交錯のなかで再考するものである。〈少女〉・〈火山〉・〈悪魔学〉・〈人形〉といったモチーフを軸に、本作が描く制度批判と逸脱の構造を明らかにする。 1930年代の「日本回帰」の潮流のなかで、「女子学生」像は、国家に規定された役割から飛翔しようとする表象として現れた。その象徴が1933年の三原山自殺事件である。この「飛翔」は逸脱の夢であると同時に、猟奇的に報じられ病理化された。『誘惑者』が1950年を舞台にこの事件を呼び戻すことは、戦後の左翼運動の高揚と、同時に広がりを見せた「エロ・グロ」的文化の回帰とを重ね合わせる試みと読める。 こうした戦前・戦後の系譜に接続するものとして、1960年代以降のアングラ文化における澁澤龍彦の「悪魔学」がある。澁澤をモデルとする松澤という人物の登場は、学生たちにとって規制の概念へのアンチテーゼを提示し、鳥居哲代を〈少女〉として母性的主体性を放棄しアブジェクトな存在へと転化させる思想的契機となる。その変容は、作中に反復される〈人形〉表象や新聞報道の引用と重ね合わされ、制度的な従属を拒絶する抵抗の身振りとして描かれる。 さらに思想的背景には、戦後日本におけるサド受容の問題がある。遠藤周作がクロソウスキーのサド解釈による母性嫌悪論に懐疑的であったのに対し、澁澤はそれを積極的に取り入れ、火山的エロスと結びつけた。『誘惑者』はこの輸入を背景に、母性不在の不安と少女の自殺願望を「火山的虚無」として重ね合わせ、逸脱を思想的に支える構造を構築する。 以上より『誘惑者』は、1930年代「女子学生」から1970年代「少女」への表象の変容を、三原山事件・戦後左翼運動・エログロ回帰・澁澤的悪魔学・サド受容といった複数の文脈を交差させて描いた作品である。本発表では、その歴史的・思想的背景を踏まえ、〈少女〉の逸脱を制度批判の構造として読み解きたい。 ◆発表日時 2025年11月1日(土)、14:00~ ご参加をご希望の方は、 Googleフォーム よりお申し込みください。 (※自動返信しております。返信がない場合は...